習慣化から惰性へと堕ちる罠から抜け出す方法
日報等で記録しているが、習慣化するためのルーティンワークを日課にしている。
- ストレッチ
- 瞑想
- スマートノート
- 読書
- 筋トレ(2、3日に1回)
昔は三日坊主だった私が、ここまで続けられるものかと自分でも驚き、また感心もしているのだが、ここに来て新しい問題を感じ始めていた。
習慣化自体はまったく問題ない。これからもずっと続けていけそうだと思う。
しかし、その中身に「惰性」の色を感じ始めていたのだった。
習慣化は素晴らしい事
まず習慣化する事、それ自体は本当に素晴らしい事。継続する事で得られる効果はどんな事柄であっても絶大だ。
これを否定するつもりはまったくないし、これからも習慣化はしっかり続けていきたいと考えている。
習慣化の先にある惰性
しかし、その先にルーティンワークが形骸化していっている感覚、惰性を感じ始めるとは自分でも思いもしなかった。
だいたい決まった時間に、決められたルーティンワークを毎日忘れる事なく、嫌になったりする事なく続けてはいる。
が、そこでダラダラとやっている自分、急いで簡単に終わらせている自分、他のことを考えたりして集中できていない自分がいる事に気がついたのだ。
ふと、その事に気がついた時、これでいいのだろうか?このまま続けていく事が本当に習慣化なのだろうか?と疑問に思うようになってしまった。
ただ、ルーティンワークの中で、筋トレだけは形骸化も惰性も感じず、充実して続けられている。
なぜだろう?
この差を深く考えた時、習慣化から惰性に堕ちる罠から抜け出す方法を理解する事ができた。
習慣が惰性へと堕ちていく原因
難しかった事が簡単になっていく
習慣が惰性に堕ちていく原因の一つに、最初は難しかった事が、習慣になっていく事で、どんどん簡単になってしまっているという事があるだろう。
簡単になれば、楽にできるようになる。楽にできるのであれば、手を抜く事もできるし、気も抜ける。
筋トレも、途中で簡単に回数をこなせるようになっていたのだが、途中でダンベルの重さを増やし、同時にトレーニングする部位を増やして、筋トレ全体にかかる負荷を増大させ、再び難しくさせていたのだった。
目的が不明瞭になり手段が目的化
習慣化する本来の目的がそもそも数値化できないような曖昧なものだったり、ある程度目的が達成できてしまった事で、目的が不明瞭になり、習慣化という手段がいつしか目的化してしまっていたのも原因だろう。
しかし筋トレは、60キロまで痩せる為という具体的な数値目標がしっかりと掲げられているため、何のための習慣化なのか見失う事なく、続けられているのだろうと分析した。
大切なのは振り返り・フィードバック
習慣が惰性に堕ちない為には、ルーティンワークの目的と内容を振り返る事。
目的を再確認し、内容を適切なものにアップデートする。場合によっては目的を再設定する必要もあるだろう。
筋トレは、自覚する事なく、その事が出来ていた事になる。
私のルーティンワークのアップデート
私は以下のようにそれぞれアップデートしてみた。
ストレッチ
ストレッチは、血流やリンパの流れを良くし、柔らかい筋肉を維持してくれるので、筋トレやダイエットの補助的な役割としてとても重要である事。と同時に精神的にも、瞑想前のウォーミングアップとして、意識を肉体に集中させる予備動作としても重要である事を忘れないようにして目的意識を高めた。
そして朝夜1日2回はそのままに、ストレッチを行う時に耳栓をして目を閉じて、伸ばしている部位に集中する事を心掛ける事を新たに追加。
また各部位を伸ばしている時間も今までよりもゆっくりと、そして深い深呼吸を意識するようにした。
瞑想
瞑想前の自分を思い出し、瞑想を取り入れてからの自分と比較して、その違いと効果を今一度思い出した。
そして瞑想を行う際に、心のなかで「今、ここ」と意識するようにしてきたが、そこに「ゆっくりと、丁寧に」という意識を追加するようにしてみた。
スマートノート
スマートノートに書く時に、書くスピードをゆっくりと丁寧な字を書くように心掛ける事にした。
本来の目的を思い出し、既成事実の羅列ではなく、自身の思考やちょっとした感情の機微を忘れないように記録し、またノート上でそれを拡張し、素因数分解する作業を復活。
また、小難しくなりがちなので、常に「オモシロ」を加えていく事を忘れないようにした。
まとめ
自分で、ルーティンワークの形骸化を自覚できたのは、本当に良かった。それは振り返りをすべき時期のサインだと言えるだろう。
仮に惰性であっても、続けないよりは続けていた方が、その成果を獲得はできるだろう。しかし惰性が濃くなれば濃くなるほど、その成果は低下していくと私は考える。
習慣はその目的と内容を定期的に見直す事が大切だ。